代表ご紹介について TVチャンピオン優勝のアトリエガッツでそっくり人形の制作を!

菊地トモヒロ紹介
数あるHPの中から、ATORIE GUT'SのHPをご覧頂き、有難うございます!
何かのご縁と思いますので、少しだけでも私のことを知っていただければ幸いです。

でも、紹介って言われても、結構恥ずかしいんですけどね…。
では、まず、なぜこの職業に就いたかお話させていただきますね!

 

お子様ペイントソフトでのいたずら描き
高校3年生の時に進路を考えますよね。
将来どんな仕事に就きたいかって!
で、どうせなら自分の好きなことで働きたいと思ったわけです。

自分の好きなことと言ったら体育と美術。
私は中、高をバレーボール、少林寺拳法、テニスと体育会系で
やってきました。暇な時間には下手な?イラストや漫画を書いていました。
(まー、そこら辺にいる普通の高校生でした。)
どちらも好きですが、美術の方がその先が想像がつかない。
その分面白いのではないかと思いました。
自分なりに必死に考えましたよ。
なにせ自分の将来の第一歩になりますから。

それで私が入学したのが渋谷にある桑沢デザイン研究所。
ここは超優秀な先輩方が大勢卒業した学校です。

初めの内は私もまじめに?デザインの勉強をしていました。
しかし段々と物足りなくなってきたんです。
出される課題に忠実にこなすだけの毎日がつまらなくなりました。

TVチャンピオン決勝戦作品
みのもんた

日本サッカー協会
JOMOカップメインイラスト
それでその課題の範囲の中でいかに笑いを取るかに力を注ぎました。
講評の時に自分の作品が一番うければオーケーです。
そのうちに平面の課題を粘土で立体表現し始めました。

なぜ粘土だったか。

おはよう母さん
美術系予備校に通っていたときの立体構成の課題で、粘土で人形を作りました。
この時に、人形制作のおもしろさに気づきました。
楽しかったし、出来もなかなかだったのでうれしかったですねー。
それでいつかは、粘土をって思っていたんです。

例えば天地左右30cmにレコードのデザインせよ。という課題で
私は粘土で枠の中に足を沢山はやしました。
なんで足だったんでしょうかね。しかしこれもウケましたよ。
ジャンプフェスタ in 幕張メッセ
集英社のホームページに載りました

ただ成績はあまりよくなかったのではないでしょうか。
逸脱したことばかりやっていたので、、、。

少々反省。
課題とは別に何体も人形を制作して学校内で個展を開いたりもしました。
そんな毎日を送っていました。
そうなると卒業後も粘土で食べていければいいなって漠然と思っていました。
やっていけるかなと思えたのは桑沢3年生の時に人形展で出展した作品が
粘土の部門賞を頂いたときでしょうか。

卒業後はイラストレーションのアシスタントを2年ほどやらせていただきました。
この2年間で仕事に対する姿勢や厳しさなど学びました。
現在の自分があるのもこの2年間にいろいろとたたき込んで頂いた
T先生とH先生のお陰です。非常に感謝しています。

TVチャンピオン決勝戦作品
背中には亀田興毅くんの直筆サイン入り

今思えばフリーになった24歳の頃は将来に何の不安もありませんでした。
希望に満ちあふれていましたね。
絶対に成功するって信じ切っていました。
信じる物は救われる、ですかね。
単純と言えば単純ですね。怖い物無しって感じでした。若かったな。
よく知り合いのデザイナーさんに平面はやらないのって聞かれます。
私は別に立体オンリーにしているわけではないのです。
半立体の仕事の時などは背景に平面のイラストを描いたりしますしね。
ただ頂く仕事が99パーセント立体でして、そうなるとファイルに納める作品も
立体になってしまうんです。

でも立体ってとても面白いんですよ、本当に!
粘土の状態から段々と命が入っていき、最後には一つの人格?を持ち始めます。
そうなるともう親になった気分ですね。

以前制作に苦労した作品の搬入の時、電車の中で知らず知らずのうちに
作品をなでていました。そんな自分に気がついて一人で「フフフッ」と笑っていました。
変なおじさんですね。



私が作品を制作するときの信条です。
まず見る人の心に訴えるような暖かさを作品に持たせたい。
そして喜んでもらいたい。制作した私も喜びたい。
そっくり人形に関しても、依頼者の方が幸せになるような作品にしたい。
だから、愛情を込めて制作するんです。

これからもいろいろなお仕事をやらせていただくことになると思います。
愛情一杯の子供達を沢山制作していきたいですね。
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